意見を求めた相手に理由を隠すと、決定より伝え方で人は怒る
まとめ
- 誰かに意見を求めた時点で、その人は「相談された当事者」になる。当事者には判断材料を対称に渡すのが原則
- 人が本気で怒るのは決定内容そのものより、核心を伏せたまま意見だけ求められる伝え方の非対称に対してだった
- センシティブな理由は集団の場ではぼかしてよい。ただし当事者には別で1対1の本音を渡す、という二段構えが要る
- 又聞きで届く前に自分の口から渡す。噂は途中で色が付くし、先を越されると「隠していた」に化ける
きっかけ
あるメンバーの部署異動をめぐって、当人が強い怒りを表明した場面を見かけた。表面だけ読むと、異動という決定そのものへの反発に見える。でも文面を追っていくと、怒りの矛先は決定ではなく「その理由をどう知らされたか」に向いていた。ここが引っかかって、しばらく考えた。
異動の相談は事前に当人にもされていた。意見も求められ、当人は自分なりの考えを返している。つまり蚊帳の外ではなく、相談のテーブルに着いた当事者だった。
そこで示された理由はこうだ。
- 新しい領域で経験を積んでほしい
- 本人のキャリアの幅を広げる機会だから
一方、当人が後から別ルートで又聞きしたのはこうだった。
- 実は今のポジションでの評価が芳しくないのが背景にある
そして当人はこう言った。「肝心な部分を言っていない。これは信じられていない証拠だし、自分から改善の機会を奪っている」。
なぜそれが刺さるのか
意見を求めるという行為は、相手を意思決定の当事者に引き入れることとイコールだ。当事者化した相手には、判断材料を対称に渡すのが筋になる。
前向きな理由(人員配置・リフレッシュ)だけ見せて意見を求め、後ろにある本音(パフォーマンス)を伏せると、相手からは「体よく使われた」「都合のいい部分だけ聞かれた」と映る。決定への不満ではなく、手続きの非対称への不信だ。これは決定内容が正しいかどうかとは別の軸で刺さってくる。
では正直に全部言うべきだったのか
ここで二択にすると本質を外す。論点が2つ混ざっているからだ。
- パフォーマンスという理由を伝えるべきだったか
- 伝えるとして、どの場・どの形でか
論点1は概ねイエス。意見を求めて当事者化した以上、材料は対称であるべきだ。
論点2は別で、集団の場でパフォーマンスを名指しするのは対象の士気を折るし、当人を公開の場で傷つける。管理する側が集団では表現を和らげること自体は不誠実ではなく、むしろ普通の配慮になる。
本当のミスは「集団の場でぼかしたこと」ではない。意見を求めた当事者に対して、別途1対1で本音の理由を直接渡す経路を用意しなかったことだ。集団ではぼかす、当事者には個別に本音を渡す、この二段構えができていれば、又聞きで核心を知るという最悪の経路は塞げた。
打ち手の順番
関係を戻すなら順番がすべてになる。
- 自分の中で事実を固める。パフォーマンスは本当に理由だったのか、主因か副次か、一言で言えるようにしておく
- 感情がピークの場(テキストの応酬)で反論も謝罪もしない。まず短く受けて、1対1に寄せる
- 1対1では、手続きの非対称を認める → 事実を対称に渡す → 相手の受け取りを事実として受け止める、の順で話す
- 決定そのものと、伝え方の反省は切り分ける。感情の場で決定に迎合しない
謝るのは理由ではなく順番だ。「決定は決定として、伝え方を反省する」を分けて扱えると、相手の怒りの芯に正面から応えられる。
もう一つの落とし穴
見落としてはいけない点がある。「パフォーマンスが理由」という情報自体が、又聞きで色が付いている可能性だ。
具体的で検証しやすい理由(人員配置)はテーブルに出ていた。一方、パフォーマンスという解釈は伝聞経由で、相談した側が本当にそう考えていたのか、それとも伝言ゲームで強調されたのか、出所が曖昧なことが多い。
もし後者なら、隠したのではなく主因でないから言わなかっただけ、という筋もある。この場合は、確認せず断定して先に激昂した受け手側にこそ立ち止まる余地がある。伝える側は材料を対称に、受け取る側は噂を事実にする前に一次情報を当たる。どちらの立場から見ても、次の一手はまず事実の突き合わせだ。
自分がこの手のミスをやりそうになるのは、たいてい「相手を気づかったつもり」のときだと思ってる。ぼかすのは優しさのつもりでも、意見を求めた相手にとっては材料の出し惜しみになる。優しさと非対称は紙一重だ、というのが今回いちばん刺さった。